2016年7月1日_カンボジアの話
こんばんは、お疲れ様ですー。
ブログには、主に自分が考えたことで人に話したいこと、書いてこうと思います。
(人に話したことや、自分が感じただけ考えただけだと話してもあまり意味がないので)
まず一つ目。今日出た結論。”行動する”ということ
知識や自己啓発は、自分が行動して問題に直面して悩んだからこそ気付きがあるもの、という考えがより強固になりました。
友人が、「行動するたびに経験が1ずつ足されていく。そこに知識や自己啓発を組み合わせることで掛け算方式で成長していく。」と言っていて、なるほどなぁと思いました。
これは言い換えれば、経験が0ならば、どれだけ知識があっても自分の成長にならない。経験の度合によって吸収できる知識が変わる。ということです。RPGで言えば、どんなに強力な武器を持っていても、経験値ためてレベルを上げなければ装備できない、みたいな話だなと思いました(笑)
この話聞いて、「最近、本読んでもなんかピンと来ないな~」と悶々としている日が続いていたけれど、それは自分の行動が足りないからだと再確認しました。
なので結論、必要なのは行動だな、と思い、今はとりあえず友達と会う・話すこととNPOみたいな団体に参加してみることにしました。(あと投資に関しては、まず基本的な入り方を学ぶこと。)
何か良い行動のアイディアがあったら誰か教えて~(笑)
そして二つ目。自分がやらないことをやろう、と思いました。せっかくできるチャンスがあるのに、やらないのはもったいないだろうということです。
自分は、そこに時間と労力を費やすリスクを嫌って、自分がやりたいと思わないことは「やらない」と決断していたのですが、人に勧められたら、好き嫌いせず「まずやってみる」のも大事かなと思いました。
なぜなら、やってみないと分からないことや、やってみて見方が変わることは何かしらあるわけで、やることで一歩世界が広がるから。自分のやりたいことだけだと世界が狭くなってしまいがちになるから、自分なら絶対にやらないことをあえてやってみよう、というのが今日の学びです。
そして三つ目。カンボジアの話。面白かったー。
今日、NPOへの参加を通じて、カンボジアの支援をやっている人のお話を聞きました。
自分がカンボジアに対して疑問に思っていたことの答えが見つかって面白かったしすっきりしました。
カンボジアに行った人の話で、「子供達が、モノやお金をねだってくる」という話をよく耳にしていて、なぜそんなことが起こるのだろうと疑問に思っていました。どんな時代、どんな社会でも、人に価値を提供して対価を得て生活するのが基本だから、一方的にモノ・金を要求する文化?みたいなものがなぜ根付くのか疑問でした。
なぜカンボジアには、モノ金を一方的に要求する文化が根付いたのか。
その要因は、「海外企業の製品が入ってきたこと」でした。
農耕社会的で、工業が発達していない段階で、海外からモノが入ってきた。
(農地で米や野菜作って生活している人が多いみたいで農耕社会的だそうです)
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そうすると皆、その海外から入ってきた便利でかっこいいモノを欲しがる。
(実際、現地の人はスマホと車大好きで皆が欲しがるものらしい)
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でも自国で生産しているものがない
(農業:自分で生産して自分で消費⇒生産ー消費のサイクルが自己完結しお金にならないし、なっても工業製品より付加価値が低い。
工業:モノは海外から入ってくる⇒発展しない。
サービス業:識字率が低い⇒タクシードライバーなど付加価値が低い産業しか発展しない)
からお金が発生しづらい上、そうやって絞り出したお金も、海外の高付加価値の製品(スマホや車)を買ってしまうから、結果海外にお金が流れてしまう。
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つまり、お金はないけどモノは欲しい、という状態になります。お金を稼ぐ手段を持っていないのに、お金でモノを買う、というある種矛盾した生活をしているわけです。だから、物乞いをする人達が出てくるんだ、と腑に落ちました。
まぁ、現地行ったことないし知識もないので、完全に知ったかぶりの話ですけど(笑)
いずれにせよ、「ビジネスや雇用を作り出すこと」が今のカンボジアにとって必要なことなのかなと思いました。ただ、これって難しい問題で、農業大国なわけではない?し、工業化じゃ他の国には勝てないし、サービス産業やるには教育体制整ってなくて識字率低いし、、、みたいな。
でも自分は、そういう状況でも、カンボジアの人々だからこそできるビジネスって絶対何かあるんじゃないか、と思います。もし現地に行く機会があれば、それを考えてやってみたいなぁと思いました。
今日はちゃんと書けた。自分の考えをまとめて書くのって難しい。